
十代から四十代の約四十人の生徒が、難しい専門用語と実習に神経の休まるひまもない日々でした。でも少しずつ慣れてある日、娘に代わって先生の質問に私が、「はい」と、手を上げてしまったこともありました。
入学してから約一ヵ月、窓外の樹木がいっせいに新緑を芽吹き始めたころ、女性のクラスメートの方から、「私たちこれから力になります。どうかご安心ください」と、親切に言って頂き、それから一人で通学を始めました。
講義は常に最前列で受けて、カッセトデッキに録音し、家に持ち帰ったものを再生して親がノートに整理、質疑は別のノートで担任の先生に毎日、連絡しました。
そして一年が過ぎ卒業を迎え、成績は百二十名中、四十二番で調理士免許を取得できました。先生、クラスの優しい友人たちのお陰と深く感謝しております、
卒業後は、市内のしにせの料理店で約九ヵ月修行し、その後、新設の老人ホームヘ二年、さらに兵庫県立病院へ一年間勤務しました。五十九年に家電メーカーに勤めている主人と結婚し、小学四年の男児の母となりました。家業がパンの卸業なので、いまは毎日車で西へ東へと配達して廻り、元気に生活しております。
そのたくましさの中には、きっと苦しみながら頑張ったあの調理士学校で、の経験が大きく生きているように思います。
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